熊本地震で考えた「正当に怖がる」ということ

「変わりたいのに、変われない」
「生きてるだけで精一杯」
頑張ることが当たり前の毎日から力を抜き、あなたの
“心地よさ”を取り戻していくお手伝いをしています。

カウンセリングルーム -comfort heart(@熊本)
心理カウンセラーの峠素子です



熊本で大きな地震がありました。

幸い、我が家は大きな被害はなく、停電も断水もありませんでした。

それでも、地震直後、心はずっと落ち着きませんでした。

「荷物は何をまとめて、どこに置いておけばいいのか」
「飲み水や食料は足りるだろうか」
「後発地震に備えて、どこまで準備したらいいのか」

次から次へと、「やっておいた方がいいこと」が頭に浮かびます。

災害に備えることは大切です。

だからこそ、「これも必要かもしれない」「あれも準備しておいた方がいいかもしれない」と考えることは、ごく自然な反応なのだと思います。

怖がることは命を守る大切な反応なので、「怖い」と感じる自分を責める必要はありません。

でも、その一方で、私は少しずつ疲れている自分にも気づきました。

優先順位がつけられない。
常に頭のどこかで地震のことを考えている。
小さな揺れにも敏感になる。

「気を抜いてはいけない」
そんな緊張状態が続きました。

気が張って、とても疲れました。

ところが、数日たつと、今度は反対の気持ちが出てきます。

ご飯を作る。
子どもと他愛ない話をする。
テレビを見て笑う。

そんなふうに、少しずつ日常が戻ってきました。

すると今度は、「このまま日常に戻ってしまっていいのかな」という不安が顔を出しました。

後発地震が来るかもしれない。
その可能性はゼロではありません。

だからといって、毎日気を張り続けることもできません。

もし心も体も疲れ切った状態で大きな地震が来たら、それはそれで冷静な判断ができなくなるかもしれない。

そんなことまで考えてしまい、「どうすればいいんだ」と、かなり戸惑いました。

その時、数年前に熊日新聞のコラムで読んだ言葉を思い出しました。

「怖がらなすぎたり、怖がりすぎたりすることは易しいが、正当に怖がることは難しい」

当時は、「なるほど」と思っただけでした。

でも今回、自分が実際に経験してみて、この言葉の重みが少し分かった気がしました。

人は不安になると、極端に振れやすいものです。

「何か起きるかもしれない」と必要以上に気を張り続けてしまうこともあれば、「もう大丈夫」と油断してしまうこともある。

どちらも、人として自然な反応です。

だからこそ難しい。

本当に難しいのは、その真ん中に立つことなのかもしれません。

必要な情報は集め、備えもする。
危険を軽く見ない。
でも、それ以上に不安を膨らませ続けない。

言葉にすると簡単ですが、この「塩梅」は、実際にやってみると想像以上に難しいものでした。

私はカウンセリングで、「〇〇しすぎる」と「〇〇しなさすぎる」の間にある、その人なりのちょうどいい場所を、一緒に探していくことを大切にしています。

災害への向き合い方も、自分の人生の歩み方も、「ちょうどいい」を探していくことなのだと思います。

正当に怖がることは難しい。

でも、その塩梅を探し続けることが、災害とも、自分の人生とも付き合っていくということなのかもしれません。

私も、その「ちょうどいい怖がり方」を探しながら、これからの日々を過ごしていきたいと思います。

あなたにとって、「正当に怖がる」とは、どんなことだと思いますか。

不安は、「怖がらないこと」がゴールではありません。

あなたに合った”ちょうどいい”を、一人で探すのが難しい時は、一緒に整理していきましょう。