プロフィール

こんにちは。
心理カウンセラーの峠 素子(とうげ もとこ)です。

自分を責めることがやめられない
人との距離感が分からず、いつも気を遣ってしまう
他人の目が気になり、自信が持てない
頑張り続けることに、疲れてしまった

そんな想いを抱えながら日々を過ごしている方のカウンセリングを行っています。

私自身、生きることに精一杯だった過去、カウンセラーを探していた時期があります。

そのとき、大きなハードルに感じていたのが
「どんな人か分からず、会うのが怖い…」という不安でした。

特に繊細な方ほど、カウンセラーとの相性や安心感は、とても大切なポイントだと思います。

だからこそ、私のことを少しでも知っていただき、「この人なら話してみてもいいかもしれない」そう感じてもらうきっかけになればと思い、プロフィールを掲載しています。

私がどんなことで悩み、どのように迷い、どんな想いで今カウンセラーとして活動しているのか。

ここに書いていることが、あなたが一歩を踏み出すための、小さなヒントになれば幸いです。

―目次ー
幼少期:集団が怖い 馴染めない幼稚園 
小学生:容姿コンプレックス「私はどう見られてる?」
小学生:共感力の高さで境界線が引けない、自己犠牲が当たり前…
中高生:外向型を演じる偽物の私。一人反省会の日々と完璧主義
大学生:悪夢のようなキャンパスライフ・医者の対応に傷つく
社会人:疲弊する心と身体、抑鬱状態へ…
聴くだけのカウンセリング:変化を感じられず、自力で頑張る道へ…
公務員時代:人間関係の壁と”普通”になれない羞恥心
結婚生活:自己肯定感のないまま理想と肩書を追い求め、虚しさばかり
自己流の限界:不安しか描けない未来と無力感
心理カウンセリングとの出会い:自分軸と自己肯定感の構築
“HSP・内向型”:生まれつきの気質を知り、人生の逆転がはじまる
「変わりたいのに、変われない」そう感じてる人のお手伝いをしたい

小さい頃、私はきれいな物を見ることや、空想をすることが大好きでした。

毎日が安心感に包まれて、HSPの気質が素直に出ていた時期だと思います。

しかし、そんな幸せな毎日は幼稚園入園を機に、ガラッと変わりました…。

母親と離れ、沢山の子ども達と先生がいる環境は、私にとってパニックでした。

いきなりの集団生活で、私はどう動けばいいのか分からず、毎日、泣きながら登園。

皆と違うことをしたら、怒られるのではないか、いじめられるのではないか、そればかり気になっていました。

周りの大人達は、大泣きの私をジロジロ見て、母に「大変ね」と声をかけ。
男の子から、変顔の泣きまねをしながら「お前のまね」とからかわれ。
先生たちからは、「泣かなくていいから・・・」と、困った顔を向けてきました。

「恥ずかしい」「いるだけで、迷惑かけている・・・」

そんな気持ちで、恐怖と混乱の人生がはじまりました。

小学校になると、友だちとの付き合い方が悩みの種になりました。

その頃の私はアトピーがひどく、気も弱く、からかいの対象となりました。

「ぶつぶつ」「汚ない」と言われ、小学校の遊具のトンネルに閉じ込められたこともありました。

言われた言葉をそのまま受け取る私に、容姿コンプレックスが芽生えます。

女の子として可愛くしたけど、字黒&剛毛癖っ毛のショートヘアのせいで、男の子に間違われることも多々ありました。

可愛い子はそれだけで人気者だけど、ブツブツで汚い私は嫌われ者。

「今、私はどう見られているんだろう? 恥ずかしい」と、そればかり気になります。

「どうして、私は嫌われるんだろうう」
「私なんかが一緒だと、相手に悪いな」

自分悲しみだけでも苦しいのですが、他人に対して申し訳ないような強い自己否定

また共感力が高く、心の境界線がない私は、困っている子を見て見ぬふりができません。

遅れていたり、いじめられてる子に手を差し伸べ、結果、自分が置いてきぼりは日常茶飯事でした。

そんな私の行動を見て、大人たちからは「優しい子」と評価されます。

けれど、私の「優しさ」は100%善意ではなく、自己犠牲が前提です。

我慢して人に尽くさなければ、褒められない苦しさ。

「優しい」と期待されるなら、その期待に応えなければならない苦しさ。

こうして、自己否定と自己犠牲の毎日を繰り返すうちに、私の中で我慢と苦しさは当たり前のことになっていきました。

生きづらさで苦しむ私の前には、外向型で優秀な姉がいました。

比較される惨めさを感じつつ、社会でうまくやっていくために、私は姉の真似をし、外向型を演じ続けました。

しかし、どんなにうまくいっても私の自己評価は姉の「偽物」ままです。

中高生になると、クラスでのヒエラルキーと、自分の立ち位置がはっきりとしてきます。

私はこの目に見えないけど、確実に存在するスクールカーストに恐怖感を抱いていました。

学校でも家でも、自分の言動の一人反省会が止まらず、被害妄想ばかり膨らみました。

しかし、それを悟られバカにされたくない私は、完璧主義でそれを覆い隠そうとします。

自分の弱さを認められず、虚勢を張っていたので、私はどんどんと自分の本心を見失っていきました。

高校卒業後、私は第一志望の大学に落ち、滑り止めの東京の大学に進学しました。

受験失敗の傷を負った私は、せめてリア充な大学生になろうとテニスサークルに入り、自ら試練の道に進みます。

大人数が苦手で、お酒も飲めない私にとって、キャンパスライフもサークルも地獄でした(かと言って、やめる勇気もない)。

地方で育った私は東京にも圧倒され、楽になりたいの一心で、初めて心療内科を受診することを決めました。

しかし問診票で、身体的な症状が特に出ていないことをチェックした医者は、サラッとこう言いました。

「なんでうちに来たの? 症状がないなら、できることなんだよね」

(死ぬほどつらいからに決まってるのに…)
傷つき、怒りを感じましたが、瞬時に(医者を困らせる私が悪い)と、罪悪感の方が勝ります。

結局、私は何も訴えられず「忙しいのに、時間をとらせてごめんなさい…」と、病院を後にしました。

「あぁ、この苦しみは誰も救ってくれないんだな」
「だから、もっともっと頑張らないと」
私は、自分の弱さを克服する為に、頑張る道を選びました。

大学生が経験する一般的な就職活動について行けず、卒業後、私はアロマサロンでセラピストとして働くことになりました。

しかし、ここで思わぬ体験をすることになりました。

人の身体に触れると、その人のエネルギーが体の中に入ってくるのが分かるのです。

神経が妙に高ぶっている人、重い空気を背負っている人に触れる時、それは顕著に起こりました。

この特性は、HSPの共感力の高さの一つの事例ですが、その頃の私は知る由もなく、自分がおかしくなったのかと思いました。

上司には理解されず、同僚からは馬鹿にされ・・・
友人に相談しても「考えすぎじゃない。それに、働くってそういうことだよ」とアドバイスの山です。

(分かってるいるけどできない。できない私はダメな人間だ…)
負のループの暗示かかっていくようでした。

心身共に疲弊し、施術後は立ち上がれないこともありましたが、笑顔で帰るお客様を前に「これが私の天職だ」と、どうにか気力を保っていました。

東京の満員電車、エネルギーの枯渇、職場での人間関係、自己否定…

目の前のことを、どうすることもできない私の心と体は、一年もたたないうちに限界を迎えました…

ある日、電車待ちをしている時「今、死ぬしかない!」という確信が心を支配しました。

「生」と「死」のギリギリのところで、一歩間違えたら、私はそこで命をたっていたかもしれません。

どうにか家に帰りつき、母親に「助けて」と電話することができました。

そうして、そのまま、実家に連れ帰られ、地元の心療内科で「鬱病」と診断されました。

地元の心療内科では、臨床心理士のカウンセリングも並行して行われることになりました。

話しを聴いてくれる臨床心理士を前に、私は涙ながらに、過去から今に至るまでのことを吐き出しました。

そして、これから私に適した心理療法が始まり「私は変われるんだ」と期待しましたが、返ってくるのは「つらかったんですね」「悲しかったんですね」といった伝え返しのみ

それ以上のことは、何もありませんでした…(傾聴のみのカウンセリング)

話すことがなくなり、間を持たせるだけの無意味な会話は、だんだんと苦痛の種になりました。

何も変わってない自分を臨床心理士の方に見せるのも悪いな…と会話にも非常に気を使い、疲れます。

幸い適切な投薬のおかげで、希死念慮と身体の問題がなくなったので、私はそのままカウンセリングも通院もやめました。

身体の問題がなくなったので、私は自立するために公務員試験に挑戦、合格をはたしました。

「国民全体の奉仕者」のやりがいを胸に、いざ入庁してみると、最初の壁は人間関係でした…

人の顔色をうかがい、圧の強い人に圧倒される自分は健在です。

そして、ここでも外向型の人間、明るくうまく立ち回れる人が輪の中心で、新人は特に協調性を求められます。

終業後の飲み会を「楽しいイベント」として、当たり前のようにこなす人がとても多く、私は戸惑います。

飲み会を楽しむ人が「普通」で、1秒でも速く1人になりたい私がおかしいんだと頑張りますが、苦痛しかありません…。

いつまでたっても「普通」になれない自分に羞恥心が芽生え、それがばれる恐怖心も膨らみます。

真の自分を隠すため、私は自分をどんどん追い詰めていきました…

やっぱり、もう、ダメかもしれない…

そんな中、私は結婚が決まり、旦那さんの仕事で県外に行くため、公務員を辞職し、専業主婦になり、子どもを二人授かりました。

結婚生活では、毎日を子育てに追われ一人になれず、神経が張り詰め、私は常に疲れ果てていました。

また専業主婦で稼いでないことに、深い罪悪感も生まれ、自己肯定感など持てるはずがありません。

私はせめて「良き妻・良き母」であろうと、高い理想を掲げすぎました。

キラキラしてるママと比較しては、自己嫌悪。

子どもの為に頑張らなきゃと思い、育児・家事・教育と、身体にムチを打って頑張ります。

自分に自信を持つために、育児の合間に勉強し、資格を取りますが、虚しさは消えません。

しかも何かを埋めれば埋めるほど、空っぽの自分が強化され、足りない物ばかり見えてきます。

「この先、いつまで頑張ればいいのかな…」

漠然とした不安が、常にくすぶるような日々が続きました。

タイプの違う旦那さんとの生活に、静かに不満が溜まっていきます。

自分の不安を子どもに重ね、子どもの未来に希望を持てず、落ち込みます。

「私のせいで、子どもが不幸になるかもしれない」という妄想に、時間もエネルギーも奪われます。

ママ友と自分を比較して、自分が劣っていると感じてしまう思考パターンは、どんなにあがいても抜け出せません。

資格を取っても、仕事を頑張っても、「まだまだダメだ」といった苦しみが続きます。

私は、この苦しさから逃れたいと、独学で心の学びをしていましたが、やはり限界が来ました。

「やっぱり、私は全てに対して無力で、いつまでたってもダメな人間だな…」

自分の無力感にさいなまれ、常に心が重たく、自分を責める日々が続きました…。

・・・そして、頑張ることに心底疲れた私は、初めてこの問いを自分に投げかけました。

「私が人並みになって、達成したいこと、感じたいものって、なんなのだろう?」と。

そうして、やっと、私が幼少期から望んでいたことは、たった1つであることに気が付いたのです。

それは・・・

「私は心から安心し、私が望む人生を送りたい」

その望みに触れた時、私の目から涙があふれ、私は子どものように声をだして泣きました。

そこから、私は本当に変わろうと、カウンセリングを予約し、自分を見直す決意をしました。

カウンセラーを前に、私は幼少期からの家族関係、集団生活で経験したつらい出来事、自責の言葉を包み隠さず話しました。

カウンセラーはそれを聞くだけでなく、私が楽になる為、変わる為の心理療法も色々と試してくれました。

「以前病院で受けた、聞くだけのカウンセリングとは、全然違う…」

カウンセリングを継続していくと、私は自分の心の変化を感じ始めました。

私は一人じゃない。声をあげれば、耳を傾けてくれる人がいる。
「悲しい、つらい」と言えば、側にいて助けてくれる人がいる。

そして、私は誰かを幸せにすることも既にできている。

それは、とても小さな心の変化かもしれません。

しかし、その小さな心の変化が、生活を大きく変えていったのです。

不安だらけで怯えるように過ごしていた私が、毎日の中に幸せが溢れていることに気が付いたのです。

自然に人と過ごすことができるようになり、人に頼り、頼られのつながりを感じるようになりました。

良い妻・良い母・良い娘を卒業し、家族とも本音で繋がり、信頼と愛の絆を感じ、家族が安心の源になりました。

今まで悩みで消費してたエネルギーを好きなことに注げた結果、現在のカウンセラーという職業にもつけました。

そして、いつのまにか、私が欲してやまなかった、安心した日々を送れるようになっていたのです。

自分を頼りにできることは、生きていく上でこんなにも安心感を得る物なのかと、今も毎日実感しています。 

心理学を学び、心理療法を探求しているうちに、私は自身が「HSP」「内向型」であることを知りました。

初めて「HSP」の本を読んだ時、「長年の生きづらさの原因に行き着いた」と、私は涙が止まりませんでした。

私が社会の中で孤独を感じ、自己否定と自己犠牲で生きてきたことには、理由があったと救われました。

そして、「内向型」という気質を知りました。
自分は「内向型」であることを「弱い」と感じ、変えられない気質を必死に変える努力をしてたことを知りました。

「私は私らしく生きることをゆるされる」

私は「HSP」「内向型」の気質を知り、人生の逆転現象を経験しました。

あんなに責めていた自分のことを、心から愛せるようになりました。

自己犠牲がなくなるので、人間関係も良好に築け、自分の身も心も大切にすることができます。

取り越し苦労でエネルギーを消費し、疲れ果てていた日々から抜け出し、身体は軽く、自分の好きなことに力を注ぐことができます。

「生きていて、本当によかった…」

それが今、私が過去を振り返って、素直に思う感想です。

自分を知ることは、自分の取り扱い説明書(トリセツ)を手に入れることです。

自分のトリセツがあると、自分が心地良いと思える場所で、自分らしくシンプルに生きる選択ができるようになります。

そして、夫、子ども、親、友だち…と、周りの大切な人のトリセツも分かるようになっていきます。

もちろん、職場、仕事、人間関係、人生と言った、あらゆる場面で、宝の地図のように自分を導いてくれます。


もし、今、生きづらさに必死に耐えている人がいたら、知って欲しいです。

そんな自分に出会いたいと思ったら、私にぜひ協力させてくれませんか?

あなたが生きている世界を知り、共に歩むことは、私にとっても大きな喜びです。

当カウンセリングルームでは、ただ話を聞くだけでなく、様々な心理療法を用意しています。

しかしそれは、私が無理に提案する物ではなく、あなた自身の「知りたい、やってみたい、こうなりたい」から始まるものです。

今、少しでも心が動いていることに気づいたら、ぜひ、お試しカウンセリングをご活用ください。

安心した空間で、心地の良い時間をともに過ごせることを、一緒に体感していきましょう。

対面時(熊本市)のカウンセリングルームです。全国対応のオンラインカウンセリングルームもご活用ください。
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